上賀茂神社。文化元年(1804年)創業 京都のお漬物・佃煮の「御すぐき處京都なり田」。京都・上賀茂名産の伝統京漬物「すぐき漬け」を作り続けています。お問い合わせ

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上賀茂神社について

「なり田」本店の隣にある上賀茂神社についてのお話

上賀茂神社について

「なり田」本店の西隣には「上賀茂神社」があります。
上賀茂神社の歴史は非常に古く、国宝に指定されている本殿と権殿をはじめ、貴重な建物が数多く残っています。境内は広々としており、とても気持ちが安らぐ場所です。
このページでは、百人一首にも詠まれ、世界文化遺産でもある上賀茂神社をご紹介しましょう。

正式名称と由来

神山を形どった「立砂」
(頂点に立っているのは松葉)

上賀茂神社の正式名は「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」です。地元では「上賀茂さん」と親しみをこめて呼ばれています。
御祭神は「賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)」で、雷神様のお一人です。(「賀茂大神」とも呼ばれています。)
その昔、上賀茂の北にある美しい円錐形をした神山(こうやま)に賀茂別雷大神がご降臨されたのが上賀茂神社の由来といわれています。 天武天皇の時代(678)、現在の社殿の基が造営されました。ちなみに、元々一つの神社であった上賀茂神社と下鴨神社は京都で最古の神社といわれています。

上賀茂神社の由緒

欽明天皇の時代(539〜571年)。国中が天災に見舞われ、庶民が非常に貧窮していたので、欽明天皇が卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に天災の原因を占わせたところ、賀茂大神の祟りであることがわかりました。そこで、4月吉日を選び馬に鈴をかけ、人は猪頭をつけて盛大に祭りを行いました。 その結果、五穀は実り、天下泰平になったそうです(「賀茂縁起」より)。
そのようなこともあり、上賀茂神社は多くの人々から信仰されるようになりました。なかでも皇室からの崇敬は厚く、桓武天皇が平安遷都の年である延暦13年(794年)に初めて上賀茂神社に行幸(ぎょうこう。天皇の外出)され、大同2年(807年)には朝廷から最高位である正一位の神階を受けました。(ちなみに「伊勢神宮」は格付けがされていません。「別格」ということのようです。)
さらには武家の参社も相次ぎ、鎌倉幕府以降は、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光なども上賀茂神社に参拝したそうです。

社殿(建造物)について

上賀茂神社には数多くの社殿が建っており、本殿と権殿は「国宝」に指定されています。
実際に参拝されますとお分かりいただけますが、中門から見ると、真正面からそれぞれ左右にずれた位置に本殿と権殿が建っています。向って右側に建っているのが本殿で、左側が権殿となっていますが、本殿と権殿は同じ造りです。通常、賀茂大神がおられるのは右の本殿で、権殿は本殿の建て替え時などに神様が避難される社殿です。
上賀茂神社には本殿、権殿以外に大小さまざまな社殿があり、いろいろな神様をお祭りしています。これらの社殿の多くは重要文化財に指定されています。

葵祭(賀茂祭)

上賀茂神社と下鴨神社の例祭である「葵祭」は、「京都三大祭」の一つに数えらている大きなお祭りです。
「葵祭」の起源は、「上賀茂神社の由来」の項で述べました賀茂大神の祟りを鎮めるために行った祭りだといわれています。明治以後は祭りを行う日が改められ、今は5月15日が祭日となっています。
京都の人がよく話題にするのが「次の斎王代は誰か」ということですが、これは文字通り「斎王」の代わりとしての役です。
「斎王」とは皇女のことで、斎王が祭りに奉じるのは神社としては格別の扱いでした。 なお、このお祭りの正式名は「賀茂祭」なのですが、当日は全ての社殿に葵を飾り、奉仕員も全員葵をつけるところから、「葵祭」と呼ばれ人々から親しまれています。
>>2008年葵祭画像集

下鴨神社との関係

上賀茂神社と下鴨神社は、元は1つの神社でしたが、奈良時代に分立しました。
下鴨神社の正式名は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」で、上賀茂神社に祭られている賀茂別雷大神の母親にあたる「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」と、祖父にあたる「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」が御祭神です。境内は「糺の森(ただすのもり」と呼ばれる森林が広がっており、森の中は木漏れ日がとても幻想的です。
なお、両神社の「カモ」の文字は、上賀茂神社は「賀茂」と書くのに対し、下鴨神社は「鴨」と書くのが通例となっています。

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